下か、鷹か、したたかか。
「戻れなくなるよ」
あの小説を読んだのは、いつのことだったか。
上質紙に綴られていた台詞が、今更になって頭の中で響いた。
齢を重ねれば重ねる程、「頭」というものは良くなるものだと思っていた。
どうやら、僕はそれにあてはまらないらしい。
隠す気のない落とし穴の淵に立って、千鳥足で飛び込もうとしている。
夜だからか、悪い視力の所為か。
はたまた、ただひたすらに深いのか。
何れにしろ底は見えなくて。
「飲み終えるまで」と、猶予の代わり。
喉を酒で撫でている。
僕は、優しくもないし。
頭も良くない。
果実酒に果実を入れるのが好きだったあの子は、別れ際も古川本舗を聴いていた。
「教えなきゃ良かった」なんて言ったら怒られるだろうけれど。
好意を蹴った仕返しか。
きっと。藁越しで鼓膜に釘を打たれている。
「したたかですね。」
デーモン閣下みたいな笑い声をする職場の先輩にそう話すと。
「じゃあ、お前は『脆弱』だな。」
なんてことを返された。
「それ、合ってます?」
「良いんだよ、それっぽければ。」
「じゃあ、僕は脆弱ですね。」
肺から溢れた煙が、雲のない師走に滲んだ。
師も走るとは良く言ったもので。
この暦を、僕は走り切れるだろうか。
それとも、落とし穴に落ちて。
いつまでも、師走の中で息をするのだろうか。
忙しさから来る錯覚なのかもしれないね。
思い出のほとんどが、この季節だ。
出来合いの海。
きっと、あれは水槽だ。
尾も止まった魚と睨めっこをしながら。
水槽の中で、溺れた振りをする。
「冷たいね」
昔の話。きっと、態度か性格を指して言われた言葉。
掌に覚えた、正反対の体温を思い返して。
「きっと、太陽でも食べていたのだろう」
そんなことを思った。