浅瀬にて、酔いどれて。

暮らしの小言です。

バレンタイン・コーク

隣席の女性に声を掛けられて、痛い頭に酒を垂らしながら相槌を打っていた。

 

素性に関する質問をしていないので、彼女について分かることは髪が黒いということぐらいだ。

 

帰宅した現在。

彼女が、読点の代わりにジントニックを飲みながらしていた話の八割も覚えていない。

 

 

引き出しを開き終えたのか、句点から少し間が空いた後のこと。

「志村君は何も食べないの?」

アテもなく、機械のように酒を飲んでいたのが気になったのか。

僕の目と、グラスの方を交互に見ながら彼女が問いかけてきた。

 

因みに「志村君」という人物は僕のことだ。

しばしば、僕は適当な名を名乗る。

 

誰かを知ることも、自分を知られることもあまり好きではない。

素性を知らずに文通をしているような関係が好きだ。

少しずつ、少しずつ。

想像の果てに、相手を知っていくような。そんな間柄。

 

 

ぼーっとしながら、不明瞭な返答をすると。

「これ、美味しいよ」

と、手許の皿からチョコレートを一つ摘まんで僕に渡してきた。

 

酔っていたからか、映画の観過ぎか。

段々と彼女の輪郭がぼやけてきて、身体が大きく見えていく。

皮膚は浅黒く変色していき、向こう側が見えないサングラスをかけている。

 

「コイツはキクぜ」

拙い英語力を頼りに彼の言葉を翻訳すると、そんなようなこと言っていた。

唇の影からは、店の照明より光る金歯が顔を覗かせている。

 

恐る恐るソレを受け取り、唾を飲んでから口に含んだ。

ソレは、舌の上で時間をかけて溶けだしていく。

溶けだしたソレが喉を這う感覚を確かめていると、身体に心地の良い痺れが訪れる。

得も言われぬ多幸感に包まれている僕の横で、彼は店に流れるトラックに身体を預けていた。

 

 

「どう?」

彼女の問いに、素直に「美味しい」と答えた。

 

半年程ぶりに、糖分らしい糖分を摂った。

「甘い!」

なんて、単純な感情しかなかった。

多分、初めて火を使った人類も似たような感情だったことだろう。

「やべぇ!明るい!アチィ!」

みたいな。

 

黒人の下りは僕の勝手な改変だが、こんな危ないものを文字通り「横流し」するんだ。

あながち、間違いではなかったのかもしれない。

 

そう考えると、彼女が飲んでいたのもジントニックではなくコーラだった気がするし。

白い粉末がダマ状になって浮いていた気もする。

 

成り行きで交換した連絡先。

名前には「Bloods」と書いておいた。

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普段、お酒と野菜しか摂取しないので。

バレンタインかなにかのそれだと思っておこう。